公益社団法人 新川青年会議所

2020年度
第50代理事長 吉森 裕晃

 

スローガン「強く・優しく・美しく 」

~50th Anniversary~

自他の尊厳を守り、何事も自分の判断・責任のもとに行うことができる強さ
他者のために、自己の心に照らして善悪を判断し、正しく行動できる優しさ
日本人の美意識から生まれる価値観を基準とし、自らの行動を律する美しさ

麗しく平和な日本への願いが込められた新しい時代「令和」
揺るぎなき強さと凛とした美しき姿勢を併せ持ち
守るべきもののために行動できる青年になろう

 

≪創立宣言文≫
ここに歴史と伝統ある富山青年会議所の発展的拡大に伴い、魚津青年会議所を設立するにあたり、我々は決意を新たにし、次の宣言を為すものである。
変革の1970年代初頭、我々は青年としての責任を自覚し激動する社会に対処する為、常に自らを厳しく持し、社会人としての連帯意識の高揚に務め、我々の地域社会により、密着した活動の推進を図り以って明るい豊かな地域社会の礎たらんとするものである。

 

~はじめに~

新川(旧:魚津)青年会議所が創立された1970年当時の時代背景を振り返ってみると、当時の日本は高度経済成長の真っ只中にあり、アメリカに次ぐ経済大国となった日本の象徴的な意義を持つイベントとして日本万国博覧会が大阪で開幕され、今では日本中に店舗展開するマクドナルドやケンタッキー・フライド・チキンが日本に第一号店を出店したのもこの年でした。それまで富山県では県内に青年会議所が一つしか有さない1県1青年会議所の組織体で構成されていましたが、時代の変革に伴い拡大分離の風潮が高まりを見せる中、1970年に富山青年会議所より拡大分離し「郷土の未来に希望を持ち豊かな社会を創る」という高き志を抱いた青年たちにより全国で447番目の青年会議所として魚津青年会議所が創立されました。
以来、明るく豊かな新川の創造に向け、時代に即した様々な運動を展開し歴史を積み重ね、本年、新川青年会議所は創立50周年という大きな節目の年を迎えます。時代も昭和から平成、令和へと移り行く中で50年にも亘る運動の歴史は尊く、社会へ与えてきた影響は計り知れないものがあります。今日まで新川青年会議所を紡いでこられた先輩諸兄をはじめ、日頃より我々の運動に対し多大なるご理解とご協力を頂いております行政・関係諸団体の皆様、また同志であります県内各地青年会議所の皆様、そして1973年に友好締結を結び、強い絆で交流を積み重ねて参りました一般社団法人 根室青年会議所の皆様には、心より感謝と敬意を表する次第であります。
50周年という節目の年に私たちは創立から脈々と受け継がれる新川青年会議所の歴史と伝統を継承し、これからも新川のまちに必要とされる団体であり続けるため、青年らしく時代に先駆け常に新たな運動を展開して参ります。

 

これからの時代に必要な力「人間力」

内閣府のまち・ひと・しごと創生本部が運用している、産業構造や人口動態に関する官民のビッグデータを集約した地域経済分析システム(RESAS)による統計予測では、魚津市・入善町・朝日町の総人口は現在約7.818万人だが、25年後の2045年には約4.796万人にまで減少する見通しである。そして全国で約800万人にのぼる団塊世代が75歳以上の後期高齢者となる2025年には、国民の4人に1人が高齢者となり日本は世界でも類を見ない超高齢社会に突入する。これまで国を支えてきた団塊の世代が給付を受ける側に回るため、現役世代への社会保障費の負担はますます増加し、医療費や社会保障などの課題にどう取り組んでいくかが大きな問題となっている。さらに、新川地域では少子化によって生産年齢人口は減少の一途をたどっており、働き手不足による地域経済の縮小も深刻な問題であろう。今、このような社会課題に対応するためIoTや人工知能(AI)、ロボットの活用、さらには次世代の通信規格「5G」を核とした第4次産業革命によるパラダイムシフトが起きている。技術革新がすさまじい勢いで進み、これまで人間にしかできないと思われていた仕事がロボットなどの機械に代わられようとしている時代、これからのリーダーには今まで求められてこなかった能力が必要となってくる。
将棋の永世七冠、羽生善治さんが著した「人工知能の核心」によれば、羽生さんが大局観で無数の選択肢から最適な一手を絞り込む際の基準は「美意識」だとしている。AIは過去の膨大な学習データから精度の高い結論を素早く導き出せるが、美意識という判断基準では結論を導くことはできない。なぜなら美意識は自分自身の直感で判断する人間にしか持ちえない感性なのだ。コンピューターが人間の仕事を代替えしてくれる時代だからこそ、私たち人間にしか出来ない価値を創造し、一人ひとりの「人間力」を高めていく必要がある。

 

「スポーツ」を活かした地域コミュニティの形成

いよいよ本年は世界的なスポーツと平和の祭典オリンピックが東京で開催される年である。日本でのオリンピック開催は1998年長野オリンピック以来22年ぶり4回目にあたり、東京での開催は56年ぶりとなる。近代オリンピックの提唱者のピエール・ド・クーベルタン男爵は、「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情・連帯感・フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でより良い世界の実現に貢献する」という理念を掲げ近代オリンピックの歴史は始まった。今回の東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開催によって日本中が歓喜に湧き、日の丸を通してスポーツがさらに日常の一部に浸透するだろう。また県内においても昨年NBA選手が2名も誕生するなど、スポーツに対する機運が一層高まりを見せている。
そんなスポーツへの参加においては、自ら「する」だけでなく、応援する側として「みる」ことで楽しんだり、各種大会の運営ボランティアスタッフやサポーターとして「ささえる」ことで参加したりと、その参加形態は多様性を増している。こういった多様化の背景にはスポーツが一つの文化として認められ、多くの価値を生み出してきた社会の発展があったことは言うまでもない。「する」・「見る」・「ささえる」といった多様な形でスポーツ参画人口を拡大させていこう。人びとが心身の健康づくりはもちろんのこと、新川地域のコミュニティ活性化の手段として幅広い効果を有するスポーツの力を活用していかなければならない。2020東京オリンピックの大会ビジョンは「スポーツには世界と未来を変える力がある」である。スポーツの力で新川の未来を変えていこう。

 

多様性社会に向けた教育の必要性

昨年、日本青年会議所は「日本一のSDGs推進団体になる」ことを目標に掲げた推進宣言を日本青年会議所の総会で提案し、全会一致で採択されたことにより約35,000人の会員を有する青年会議所は、全国各地で社会課題の解決に向けて力強く運動を推進している。SDGsは持続可能な世界に向けて2030年までに達成すべき目標を全世界で共有することで、誰一人取り残さないより良い社会を目指すものである。しかしながら、この運動は各国の政府や自治体、企業、各種団体だけが中心となって取り組むのではなく、「教育」として次世代を担う子供たちに推進していくことも重要である。SDGsのゴール達成期限である2030年は新川の現状も今とは変わっているだろう。少子高齢化がさらに進行し生産年齢人口も減少し続け、さらにはグローバル化や情報化の飛躍的な進化は、これからの子供たちの生き方についても影響するものであるという認識が必要である。子供たちが社会的変化を乗り越え豊かな人生を切り拓き、持続可能な社会の創り手となることができるよう、多様な価値観や社会的に脆弱な少数立場の人びとと相互依存を図り共生して生きていくことが求められている。子供たちの持つ個性や能力を最大限に発揮できる環境を整えていこう。そして子供たちが他者を寛容しながら自己を発揮できれば、さらに自身の感性を磨くことができるだろう。他者を思いやることのできる本当の強さを手に入れた子供たちが、新たな価値を創造していくダイバーシティに富んだ社会を築いていくことが、将来、新川地域の発展する原動力として不可欠と考えられる。

 

美しき日本人の心への回帰

1890年、日本への親善大使を乗せたエルトゥールル号が横浜港に停泊した。帰国の途についたエルトゥールル号は嵐に見舞われ、和歌山県串本沖で沈没する。約600人が命を落としたが、陸に流れ着いたトルコ人を救助した地元漁師たちの献身的看護によって69人が無事にトルコに帰国した。このエルトゥールル号遭難事件から95年後の1985年、イラン・イラク戦争の際にサダム・フセイン大統領が発表したイラン空爆の攻撃声明により航空機を手配できない日本人265人が首都テヘランのメハラバード空港に取り残された。そんな中、危険を承知で日本人の救出に向かったのはトルコ航空の救援機だった。エルトゥールル号遭難での日本人の救出劇は、世代を超えてトルコの人びとに受け継がれ95年後に報恩となって現れたのだ。世界にはトルコの他にも台湾、ポーランド、ブラジル、フィンランドはじめ歴史的背景から親日といわれる国がたくさんある。日本人には人を思いやる優しさ、清く正しく生きたいという気持ち、そんな温かくて真っすぐな心が昔から備わっているのだ。世界に誇ることのできる日本人の「美しい心」。東京オリンピックに続き2025年には大阪万博の開催も決定し、多くの外国人観光客が日本に訪れるだろう。おもてなしの精神で日本の文化や魅力を世界の方々に感じていただきたい。私たちが日本人として自分の中にある心の美しさに気づき、誇りを持つことができれば、「美しい心」は日本が世界に誇れるレガシーとなるだろう。

 

時代のニーズに合わせた会員拡大意識の必要性

青年会議所は「明るい豊かな社会の実現」のために、自己研鑽・修練に励む青年経済人の学び舎である。世の為、人の為が自分の為となり、自己成長を通して己の価値を高め自身の価値観を根底から変えてくれる組織は他にはない。この学び舎から地域社会や地域経済の発展のために魅力あるリーダーを一人でも多く輩出することが、青年会議所の責務である。そんな青年会議所も人口減少社会では現在の会員数を維持していくことが困難になってくるだろう。持続可能な団体とするには組織の在り方や活動内容を見直すことも必要であり、新入会員に対して発信していく組織の魅力も、時代の変化に合わせて柔軟に対応していかなければならない。私たちの唯一無二、最大の武器は「若さ」である。20歳から40歳までの期間にしか活動できない有限性、未熟さゆえに多様な価値観を持つことは、我々の存在価値そのものである。近年は会員の平均年齢も高く推移する傾向にあり、これからは20代の入会者を増やすことも必要である。青春期の溢れ出る情熱、何事にも恐れず立ち向かう挑戦心、未知なるものへの好奇心をもった若者を、物事を良い方向に導くことのできる変革の能動者として育てていこう。

 

北方領土への熱き想いと友好の歴史

新川(旧:魚津)青年会議所が誕生してから3年後の1973年7月、北洋漁業で深く結ばれ県内出身者やその子孫も数多い根室市の一般社団法人 根室青年会議所と友好関係を締結して以来、47年間に亘り築いてきた友情の歴史は今も続いている。友好を結んだ当時は、日本青年会議所が1970年に第1次の北方領土現地視察団を派遣したのをきっかけとして北方領土返還に関する運動が全国で活発化し、北方領土問題をテーマとするフォーラムや署名活動など様々な取り組みが各地で開催されていた。新川青年会議所においても北方領土早期返還を願い国鉄魚津駅前に返還アピールタワーの建設や、当時の魚津市立図書館へ北方領土に関する資料を展示した北方領土コーナーの寄贈、街中での北方領土返還を訴えるパレードの開催など市民の関心を高めてきた。今でも必ず北方領土委員会が毎年設置され、新川地域から北方領土に関する意識を高めようと奮闘している。まさに新川青年会議所の歴史は北方領土返還要求運動とともに歩んできた歴史でもある。
日本の固有領土がロシアに不法占拠されてから75年が過ぎ元島民の平均年齢は84歳になろうとしている。択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島からなる北方領土は、歴史的な経緯や国際法に照らしても疑う余地のない我が国の固有の領土であり、ロシア側の厳しい姿勢を前にして、今後の交渉にはさらなる知恵と覚悟が問われている。根室青年会議所との絆を胸にこれからも全力でこの問題と向き合っていこう。

 

半世紀という節目を迎えるにあたって

新川青年会議所の歴史と伝統を築き上げてこられた先輩諸兄の功績に感謝し、50年間の歩みを振り返るとともに、これからの時代に即した進むべき方向性を見据えた新たなスタートを切る年として、この先も60年さらには100年へと歩みへと繋げていかなければならない。この地域で活動する青年会議所として、これまでの伝統を受け継ぐ「継承」と、青年らしく新たな価値観で未来を創る「創造」をテーマに、地域に根差した視点から私たちが考える未来ビジョンを示していこう。

 

おわりに

「人は人によってしか磨かれない」という言葉があるが、まさに青年会議所ほど自分を磨き、成長することに適した場所はない。だからこそ多くの仲間と出会い、自分の器を広げ、人生の財産にして欲しい。その中で義理堅く人情味が厚い人に出会えた時、あなたは自分に足りないものに気付くだろう。そして本当の人の温かさを知るだろう。いつの時代もそんな人情味で溢れている場所、それが新川青年会議所だ。

強く・優しく・美しく

そんなかっこいい大人になろう